皆さん大変ご無沙汰しております。
早よ更新せーや…とか、見てるで~!けど、いっこも更新せーへんなぁ。。
と、放置状態にも関わらず御期待の声にプレッシャーを感じつつ、やっと新ネタ?のご披露となりました。
ブログ勘?みたいなのも鈍りまくっているので、細かいところは気になさらず、シレ~っと流してくだされば幸いでございます。
前置きはそこそこに、このひろたみくんブログ10周年記念に向けての復活第一弾!(笑)
表題にあります、藤井寺市は伴林のだんじりについて、レポしていきたいと思います☆
知る人ぞ知る、この岸和田型だんじり。
いつも参考にさせて頂いてますいわねえさんの悉皆調査を見ていて気になってました。
そこにはこうあります。
以下、引用↓
地車=岸和田型。
2代目。大工、彫師等は不詳。長さ5m。幅2、2m。高さ3、25m。
昭和16年(1941)に地車買戻同志會の立ち上げにより、岸和田方面で曳かれていたと思われる地車を大阪市の個人が所有しておりこれを 1100円で購入し、同年5/26の本殿遷座祭に併わせ初曳行する。
また地車買戻一件記録同志會記録によると先代を買い戻しに新町に行くと、既に貝塚に売られていた。
買戻し金額は先方が5000円以上と言うので断念し、同じ貝塚の某町より購入と云われる。
昭和60年頃に曳行復活。以前は道明寺天満宮まで宮入りしたという。
平成7年、修復する。
なかなか曰くつき?これだけで、多くの方の思いが詰まった感がバシバシと伝わってきますね☆
そんな話しをしていたら、同じ藤井寺市の道明寺にいらっしゃるマニアさん方が貴重な見学の機会を設けてくださりました!
字ぃばっかり書いてても仕方無いので、写真を交えてご覧ください(笑)
伴林氏神社(ともはやしのうじのじんじゃ)の境内に小屋があります。
小屋開けの予定があるとのことでしたが、わざわざ開けてくださったような。。
到着すると町の方々は神社で神事の最中。
氏神様を非常に大切にされている様子が見て取れました。
この伴林氏神社については次回、報告させていただきたいと思います。
間近で見れた伴林のだんじり!
一部、上だんじり風に改修されてますが、完全な岸和田型です☆
台木は取り替えられてましたが、曳綱環は2個のまま。
新調当時のものと思われます。
大きな獅噛と懸魚も新しいものですが、泉州の彫師さんの作品ではないようです。
平成7年に植山工務店にて修理が行われたそうで、その際に台木のほか大小の屋根周りに柱、勾欄等が取り替えられています。
出処の不明なだんじりとのことで、ある程度の可能性を絞っていたのですが、東出小路の先々代が獅噛の付いただんじりやったという話しもあったので、最有力として目ぼしを付けていました…
ところが購入時の古い写真では鳥襖が付いています。
この平成7年の修理にて鬼板を獅噛に変更されたそうで、自分の思い込みはこの写真で砕け散りました(笑)
。
古いだんじりに組物を積み足して大きく改修しただんじりが多い中、二手先四段の切妻造りは新調時の面影を残す貴重な存在ですね☆
自町先代だんじりも池内工務店にて新調した時、古い部材を使って完成させたので、高松系のこの彫り物に懐かしさを感じてました。
枡組枡合の芯板となる部材は分割タイプ。
横槌しか中まで抜けてきてませんね…(^_^;)。。
大きな獅噛を並べてみると、なかなかの迫力!
小屋根も切妻造りですね~☆
小型ということもあるのか、逆背(葺地の傾斜)をあまり付けずに細工されてます。
小屋根も二手先四段。
平の枡合が非常に狭い!
台輪は取り替えられてますが、摺出鼻の上部にカラクリ細工の跡はありませんでした。
この部材も古かったので、恐らくは新調当時のものかと思われます。
合戦もの…というだけで、題材まで推測し難い彫刻です。
しかし合戦ものの武者彫刻ですから、明治期以降のだんじりとなりますね☆
腰回りは土呂幕・連子・縁葛の三段。
古い松良受けに載る古い松良は新調当初のものと見て良いでしょう。
造りはシンプルですが、縁板の下に水板もあります。
これで制作年代が、グッと近づいてきました☆
松良受けは阿吽の獅子でした。
獅子の開けた口がノコの切り込みそのままに近い細工。
ケヤキの固さと格闘する、当時の職人さんの汗を垣間見たりしてます。
後ろに回って小屋根周り。
居合わせたマニアさん方の見解では、この懸魚の龍も泉州の職人さんの彫りではないとのことでした。
平成7年に取り替えられた部材です。
見送り下は大きな水板と縁葛の二段。
半松良は芯に柱を立てた持送り。
これは高石七区(北村)から八区(大工村)へ売却された、現橋本市紀見のだんじりが同じ造りとなってます。
違いといえば、こちらには大脇が有ります☆
彫り物の一部。
高松系なのですが、特定できるほど目利きではございません(笑)
しかし彫刻は紀見と少し違いますね。
以前、和泉市黒鳥町のお好み焼き屋さんに置いていた春木戎の先代、現黒鳥町辻小路の先代に似た感じがしました。
岸和田市小倉先代、現堺市中区の八田西町にも似ている気がします☆
冒頭、いわねえさんの悉皆調査引用にもある様に、貝塚で曳かれていただんじりを昭和16年に購入されたそうですが、ここ伴林では大正中頃にそれまで曳いていただんじりを50円足らずで売却していたそうです。
当時のここ伴林氏神社は教育勅語にも登場する道臣命(みちのおみのみこと)を祀る全国唯一の神社だと判明し、国を挙げて西の靖国神社としようという動きが始まった時代。
その由緒ある神社の神賑わい行事として恥ずかしくないものを…との思いから、だんじりを買い戻す事になったそうです。
捜索隊を組織して二十数年前の記憶を頼りに探し回った結果、売却先の西浦新町(現羽曳野市)では小屋しか残っておらず、やっとの思いで発見するも修理もされていて、本来は1万円のところを5千円以上で…と言われたそうな。
(因みに岸和田大手町は昭和15年に6600円で新調といわれてます)
とても手が出るはずもなく途方に暮れていた捜索隊が見つけたのがこのだんじり。
1500円までのものとして葛の葉と貝塚で候補を挙げ、この思いに同情くださったスポンサーのおかげで、この貝塚の方を1100円で購入されたそうです。
貝塚…としか記述がないので今となっては不明ですが、購入額(売却額)壱阡壱佰圓也の記載が貝塚のどこかに残っていないでしょうかね~
将来の者も旧来の悪習を一掃し真に現在自粛の念を
以て保管され再び賣ることなき様堅く堅く一同祈念するものなり
曳き方及諸費用等心せられて神に仕える神賑行事として村の続く限り永久に維持せられん事を望む
先人の思いを継承し、中断していただんじり曳行も昭和60年頃に復活。
平成7年には大修理を行い、上だんじり風に改修。
そして祭りの盛り上がりは留まらず、平成28年には新調だんじり完成の予定で、完全な上だんじりだそうです。
現だんじりも嫁ぎ先が既に決まっている様な話しも耳にしました。
伴林の皆様をはじめ多くの方々の協力のもと、貴重なだんじりを拝見させていただきました。
知識乏しく、明確な結論が出せないままではありましたが、代々継承されただんじりに対する想いと神様に対する畏敬の念を強く感じさせる地区でした。
だんじり新調を機に、これからの益々の発展を願いまして見学のお礼とさせていただきます。
ありがとうございました。
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