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Channel: ひろたみくん
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【至急】お詫びとお知らせ

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毛穴町だんじり見学会 延期のお知らせ
 
 
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先日、お知らせいたしました毛穴町だんじり見学会について、
会場と予定してました毛穴会館にてお葬式が行われる事となりました。
 
つきましては急ではございますが見学会を延期したく、お知らせ申し上げます。
 
なお変更日程は関係者にて調整のうえ、改めて告知させて頂きます。
 
 
各位ご迷惑をお掛けいたしますが、宜しくお願いいたします。
 
 
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伴林だんじり(藤井寺東地区連合)

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皆さん大変ご無沙汰しております。
早よ更新せーや…とか、見てるで~!けど、いっこも更新せーへんなぁ。。
と、放置状態にも関わらず御期待の声にプレッシャーを感じつつ、やっと新ネタ?のご披露となりました。
ブログ勘?みたいなのも鈍りまくっているので、細かいところは気になさらず、シレ~っと流してくだされば幸いでございます。
前置きはそこそこに、表題にあります藤井寺市は伴林のだんじりについて、レポしていきたいと思います☆

知る人ぞ知る、この岸和田型だんじり。
いつも参考にさせて頂いてますいわねえさんの悉皆調査を見ていて気になってました。
そこにはこうあります。
以下、引用↓


地車=岸和田型。
2代目。大工、彫師等は不詳。長さ5m。幅2、2m。高さ3、25m。
  
 昭和16年(1941)に地車買戻同志會の立ち上げにより、岸和田方面で曳かれていたと思われる地車を大阪市の個人が所有しておりこれを 1100円で購入し、同年5/26の本殿遷座祭に併わせ初曳行する。
 また地車買戻一件記録同志會記録によると先代を買い戻しに新町に行くと、既に貝塚に売られていた。
買戻し金額は先方が5000円以上と言うので断念し、同じ貝塚の某町より購入と云われる。
昭和60年頃に曳行復活。以前は道明寺天満宮まで宮入りしたという。
平成7年、修復する。


なかなか曰くつき?これだけで、多くの方の思いが詰まった感がバシバシと伝わってきますね☆
そんな話しをしていたら、同じ藤井寺市の道明寺にいらっしゃるマニアさん方が貴重な見学の機会を設けてくださりました!
字ぃばっかり書いてても仕方無いので、写真を交えてご覧ください(笑)

伴林氏神社(ともはやしのうじのじんじゃ)の境内に小屋があります。
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小屋開けの予定があるとのことでしたが、わざわざ開けてくださったような。。

到着すると町の方々は神社で神事の最中。
氏神様を非常に大切にされている様子が見て取れました。
この伴林氏神社については次回、報告させていただきたいと思います。


間近で見れた伴林のだんじり!
一部、上だんじり風に改修されてますが、完全な岸和田型です☆

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台木は取り替えられてましたが、曳綱環は2個のまま。
新調当時のものと思われます。

大きな獅噛と懸魚も新しいものですが、泉州の彫師さんの作品ではないようです。
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平成7年に植山工務店にて修理が行われたそうで、その際に台木のほか大小の屋根周りに柱、勾欄等が取り替えられています。


出処の不明なだんじりとのことで、ある程度の可能性を絞っていたのですが、東出小路の先々代が獅噛の付いただんじりやったという話しもあったので、最有力として目ぼしを付けていました…


ところが購入時の古い写真では鳥襖が付いています。
この平成7年の修理にて鬼板を獅噛に変更されたそうで、自分の思い込みはこの写真で砕け散りました(笑)


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古いだんじりに組物を積み足して大きく改修しただんじりが多い中、二手先四段の切妻造りは新調時の面影を残す貴重な存在ですね☆


自町先代だんじりも池内工務店にて新調した時、古い部材を使って完成させたので、高松系のこの彫り物に懐かしさを感じてました。

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枡組枡合の芯板となる部材は分割タイプ。
横槌しか中まで抜けてきてませんね…(^_^;)。。


大きな獅噛を並べてみると、なかなかの迫力!
小屋根も切妻造りですね~☆
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小型ということもあるのか、逆背(葺地の傾斜)をあまり付けずに細工されてます。


小屋根も二手先四段。
平の枡合が非常に狭い!
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台輪は取り替えられてますが、摺出鼻の上部にカラクリ細工の跡はありませんでした。
この部材も古かったので、恐らくは新調当時のものかと思われます。

合戦もの…というだけで、題材まで推測し難い彫刻です。
しかし合戦ものの武者彫刻ですから、明治期以降のだんじりとなりますね☆
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腰回りは土呂幕・連子・縁葛の三段。
古い松良受けに載る古い松良は新調当初のものと見て良いでしょう。
造りはシンプルですが、縁板の下に水板もあります。
これで制作年代が、グッと近づいてきました☆

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松良受けは阿吽の獅子でした。

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獅子の開けた口がノコの切り込みそのままに近い細工。
ケヤキの固さと格闘する、当時の職人さんの汗を垣間見たりしてます。



後ろに回って小屋根周り。
居合わせたマニアさん方の見解では、この懸魚の龍も泉州の職人さんの彫りではないとのことでした。
平成7年に取り替えられた部材です。

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見送り下は大きな水板と縁葛の二段。
半松良は芯に柱を立てた持送り。
これは高石七区(北村)から八区(大工村)へ売却された、現橋本市紀見のだんじりが同じ造りとなってます。
違いといえば、こちらには大脇が有ります☆


彫り物の一部。
高松系なのですが、特定できるほど目利きではございません(笑)
しかし彫刻は紀見と少し違いますね。
以前、和泉市黒鳥町のお好み焼き屋さんに置いていた春木戎の先代、現黒鳥町辻小路の先代に似た感じがしました。
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岸和田市小倉先代、現堺市中区の八田西町にも似ている気がします☆

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冒頭、いわねえさんの悉皆調査引用にもある様に、貝塚で曳かれていただんじりを昭和16年に購入されたそうですが、ここ伴林では大正中頃にそれまで曳いていただんじりを50円足らずで売却していたそうです。

当時のここ伴林氏神社は教育勅語にも登場する道臣命(みちのおみのみこと)を祀る全国唯一の神社だと判明し、国を挙げて西の靖国神社としようという動きが始まった時代。

その由緒ある神社の神賑わい行事として恥ずかしくないものを…との思いから、だんじりを買い戻す事になったそうです。

捜索隊を組織して二十数年前の記憶を頼りに探し回った結果、売却先の西浦新町(現羽曳野市)では小屋しか残っておらず、やっとの思いで発見するも修理もされていて、本来は1万円のところを5千円以上で…と言われたそうな。
(因みに岸和田大手町は昭和15年に6600円で新調といわれてます)

とても手が出るはずもなく途方に暮れていた捜索隊が見つけたのがこのだんじり。
1500円までのものとして葛の葉と貝塚で候補を挙げ、この思いに同情くださったスポンサーのおかげで、この貝塚の方を1100円で購入されたそうです。

貝塚…としか記述がないので今となっては不明ですが、購入額(売却額)壱阡壱佰圓也の記載が貝塚のどこかに残っていないでしょうかね~


将来の者も旧来の悪習を一掃し真に現在自粛の念を
以て保管され再び賣ることなき
様堅く堅く一同祈念するものなり
曳き方及諸費用等心せられて神に仕える神賑行事として村の続く限り永久に維持せられん事を望む


ー地車買戻一件記録同志会よりー

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先人の思いを継承し、中断していただんじり曳行も昭和60年頃に復活。
平成7年には大修理を行い、上だんじり風に改修。


そして祭りの盛り上がりは留まらず、平成28年には新調だんじり完成の予定で、完全な上だんじりだそうです。
現だんじりも嫁ぎ先が既に決まっている様な話しも耳にしました。

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伴林の皆様をはじめ多くの方々の協力のもと、貴重なだんじりを拝見させていただきました。
知識乏しく、明確な結論が出せないままではありましたが、代々継承されただんじりに対する想いと神様に対する畏敬の念を強く感じさせる地区でした。

だんじり新調を機に、これからの益々の発展を願いまして見学のお礼とさせていただきます。

ありがとうございました。



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LINE スタンプ

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久々のブログ更新にも関わらず、多くの方にごらんいただきまして、ありがとうございました。
調子に乗って、また投稿したいと思います(*^_^*)。。

先日、いつもお世話になってます泉佐野市の同級生N氏から、スタンプできたよ~と、LINEが入りました。

LINE って何?…って方は、こちらを参照願います。

以前より構想・着手されてたそれが、やっと日の目を見れた様で、このひろたみにもプレゼントしてくださいました。

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面白いでしょ~ヽ(^o^)丿

だんじり好きの多くの方々に是非とも知っていただこうかと思い、紹介させていただきます。

以下、N氏のfacebookより


ついに・・・
 やっと・・・
LINEの似顔絵だんじりスタンプ承認されました!!
 構想から苦節約1年。(まあ、仕事の合間を見てやってたからやけど(笑))
 一部がなかなか承認されず、承認されない理由を質問しても全く返答をくれない中、何度も何度もやり直し。。。
とうとう販売OKに!
そして、さっそく本日午後より発売開始しました!!\(^o^)/
あなたの知ってるあの人たちも登場!?
 下にリンク貼っとくんで、みなさんめっちゃ使って下さい!
そして、めっちゃ広めて下さい!シェアして下さい!(笑)
あなたもLINEスタンプになってみたいですか?
なってみたい人は・・・
 どうしましょう?(笑)
ま、まずは見て使って下さいね!^^
 P.S.
 既に販売している熊取町の銘店『ぎょーざやさん』の公式キャラクタースタンプ「餃子のぎょーちゃん」もお忘れなく。(笑)
ダウンロードはこちら↓
https://store.line.me/stickershop/product/1157610/ja



ちなみに本日、7月14日は求人広告の日やそうです(笑)


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ひろたみモデル(^_-)-☆


今や無くてはならないアイテムとなりましたLINE!

そのトークを盛り上げるアイテムとしてだんじりスタンプを活用して、これから迎える祭りシーズンに彩りを添えられてはどうでしょうか。


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皆さん、宜しくお願いします(*^。^*)/


                       

貝塚市太鼓台祭り

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大変ご無沙汰しております。
7月に入り、連日の夏日が続いています。
こまめな水分補給と体調管理を怠らない様、充分にご注意くださいね。


本格的な夏を迎えるこの季節、泉州の祭りの先陣を切って、今年も貝塚市の太鼓台祭りが始まります!

南海本線 貝塚駅の西側で開催され、だんじりで有名な麻生郷地区の曳行コースとは、駅を境に東西に分かれた地域になります。

毎年、海の日の前にあたる土日に開催され、大北町・近木町・中北町・中町・西町・堀之町・南町、計7基の太鼓台が感田神社へ宮入りします。


実は去年、南町の太鼓に初めて参加させていただき、熱い男の祭りにすっかりはまってしまいました。
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今年も7月3日(今日!)の午後に試験担ぎが行われる予定。

ひろたみは自町のだんじり子供イベントと重なったため、本番のみの参加となりますが、貝塚祭りに参加される皆さん、暑い中ですが頑張ってください!と、応援のエールを送る気持ちでアップしていきたいと思います。

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夏祭りはとにかく暑いイメージがありますが、写真にもあります様に水桶の氷水を頭からかぶり、それを飲みながら担ぐので大丈夫でした。
でも後から聞くと、暑さも例年に比べてマシやったそうです(笑)
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さすが重い太鼓を担ぎ続けてきている男達の集まりです。
ひろたみの太ももぐらいありそうな上腕に肩のこぶは当たり前の世界…(^_^;)

本体です。
動き出したら一切目に入らない(笑)精巧な細工の数々。
総割付の化粧垂木に開さんの秀作!
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土日とも13時~22時で行われ、前へ前へと非常に推進力のある威勢のいい運行です☆
どぉーん、どぉーん、どぉーんと、みっつの太鼓に合わせてグイグイ押し上げていきます。

日曜午後の宮入り風景、このあと担ぎ合いです。
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夜は普通にアングルに並べた提灯を取り付け、大型のバッテリーも4個積み込んでます。
これを担ぎ上げるんやでなぁ…と、心が一瞬折れそうになりました(笑)
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肩に食い込む重さに負けん様に、担ぎ合います☆
初参戦ということで、去年は心が折れないための気持ちの準備を整えて参加しましたが、予想以上にドMな祭りでした(^_^;)。。


今年も事故なく無事に試験担ぎを終えられることをお祈り申し上げますとともに、また本番には微力ながらその助けになれる様、頑張りたいと思います。

最後に去年の最後、若頭会長さんの「来年はもっとええ祭りにできるように!」の動画を貼って、終わります。


貝塚南の皆様、貝塚太鼓に参加される皆様、本年も宜しくお願いいたします。



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謹賀新年!

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新年明けましておめでとうございます!

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放置ブログにもかかわらず、ちょくちょくと覗いてくださり大変嬉しく思ってます。

皆様方におかれましても幸多き年となります様、心より祈念いたします。

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朝からお祝いして初詣。
心穏やかに、のんびりと元日を過ごしています(*^_^*)

どうぞ今年も変わらず、宜しくお願い申し上げます。


             平成二十九年 元旦
                  辻中 ひろたみ


                      .

恒例の!

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第65回目を迎える八田荘駅伝大会が、1月8日(日)に行われる予定です。
八田南之町はだんじりを出して応援しています。

過去記事(さぁ、頑張っていきましょう!)

ひろたみは一般女子の最後尾を自転車で追いかけてるので、小屋前には居ませんが…(^_^;)

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自慢のだんじりをゆっくり見てくださればと思います(^^)

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枡合右面:神功皇后 三韓征伐

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枡合左面:大國主命 國譲り

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正面腰回り
縁葛:富士の巻狩り 頼朝本陣、大連子:壇ノ浦の戦い 義経八艘跳び、小連子:大江山 酒宴の場、土呂幕:元寇 宗助國奮戦

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正面土呂幕アップ(蒙古軍対馬襲撃)

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小連子:大江山アップ
血の衣を洗う女人、神便鬼毒酒を呑ませる、神便鬼毒酒を注ぐ

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脇障子物見:(左)蝦蟇仙人・(右)鉄拐仙人

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見送り虹梁:(左)北条時宗 蒙古使者と謁見、(右)竹崎季長 安達泰盛より馬を賜る

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見送り:元寇 蒙古副将 劉復亨を振り向きざまに射抜く少弐景資、炸裂するてつはう

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小屋根枡合右面:仁田四郎 富士の人穴に入る
松良左:天乃巌戸(猿田彦)
大脇右:文永の役(楽団を率いる蒙古軍)


…と、手元の写真でざっくり紹介してみました(笑)

今年もひろたみ両親が善哉を準備していますので、お気軽にお立ち寄りくださいね☆

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貝塚市木島地区 清児のだんじり

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まだまだ寒い日が続きますね~
先日、板原村の館長様より「だんじり見せてもらえるんやけど行けへん?」と、嬉しいお誘い!
さらには網なしってことで、朝から車を走らせ貝塚市へと向かいました。

張り切りすぎたのか早めに到着。
小屋は開いてるけど、数名の方だけで掃除をされている様で…
小心者の自分は声を掛けれず(笑)、暫く付近を散策することにしました。

二十数年前、水間さんで数年お世話になってた頃、年に一度だけ清児まで下りて行くロングランの曳行を思い出しながら。

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有名な天平時代の大僧正行基の逸話、弁財天に仕える十六童子の化身が現れ、そのもてなしと案内に感激した行基の「なんと清らかな稚児達よ!」との称賛より、町名が清稚児(せいちご)→清児(せちご)になったとか。

行基様を敬う心から、町には行(ゆき)さんが多いと聞いていましたが、なるほど確かに!あちこちに表札が掲げられています。
行基菩薩の足跡が色濃く残る、古くからの町並みが持つ雰囲気を楽しんでました。


駅の無い地区の自分からすると羨ましい電車が停まる町、清児。
だんじり小屋は駅前大通り沿いにあるので、清児駅へも足を延ばしてみました。

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駅の反対(西)側にはサンシティ貝塚のマンション群が建ち並んでます。
幻の分岐延長計画(紀泉鉄道)が実行されていたら、環境は全く違ったものになっていたでしょうね~



もう少し我慢すれば寒さも和らいでくることでしょう。
ブラタモリっぽく(笑)その痕跡を辿ってみるのも面白いかと思うので、ご紹介しておきます。


清児町内をブラタミしてるうちに、やっと板原館長と上村のMナリ君が到着!
長い前置きはこのぐらいにして、いよいよだんじりの登場です☆

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【清児だんじり】
  大工棟梁:岩出秀吉師
 彫刻責任者:石田範治師
当町にて昭和22年新調
四手先で組まれた入母屋のだんじりです。

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兄弟だんじりと云われる同市堀町先代だんじりと確かに瓜二つですね☆
獏の横槌や隅出すの雰囲気、枡合側の真横へ出た尾垂木が特徴的です。

枡合を見てみましょう。
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主正面枡合:天岩戸

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主左枡合:弁慶と牛若丸、五条大橋の出会い。

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主右枡合:鶴岡八幡宮にて源実朝暗殺

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主後枡合:新田義貞鎌倉攻め、稲村ケ宝刀流し

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主後木鼻(阿吽)
新調当初より、柱を四~五寸伸ばされているようですね~。

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右側(平の姿見)
網なしどころか梯子まで外されてます♡

脇障子から後の縁板は長さも充分!
大きく存在感のある彫り物が目を惹きます。

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正面土呂幕:川中島の合戦、龍虎相討つ

新調から約70年、木の状態がとても良いです!
大切にされてきたのが伝わってきますね~

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左平の腰回り
彫り物に関して言えば、岸和田の中町を見本にした様に作事された堀町先代に対して、こちらは同市筋海町と上町を見本に…といった感じでしょうか。

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左土呂幕の加藤清正、かなりの出来栄えでした!

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この後ろ姿!最高です☆

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見送り内部にも、いい作品が状態良く残ってました。

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見送り:大坂夏の陣

町の方より“このだんじりの彫刻題材について判らないところを探っていきましょう”というお誘いを受けたそうで、大変勉強になる見学会でした。

そんな中、個人的に気になって仕方なく、考えても解らないので図にしてみた箇所があります(笑)

彫り物ではなく、大工仕事の部分なんですが…

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組物に注目してみてください!
四手先八段ですね~


続いて平から…

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…三手先八段?

非常に複雑な組み方になってますね☆
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これを図に表すと…


妻(正面から向かって右)の組物

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平(だんじり正面から向かって右側)前の組物
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※巻斗と実肘木、隅出す横槌は省いてます。
 ×は尾垂木、◎は実肘木

実際に目にしながら、またPCで書き表しながらも、あれ?あれ?の連続(笑)

子供の頃、爺さんに三角地に建てた家の軒先の合わせ方や、扇垂木の掛け方を聞いてちんぷんかんぷんやったのを思い出しました(笑)

組物フェチを自称される方も多いので、ご教授いただければと思います。



それにしても特徴的で保存状態も良く、素晴らしいだんじりです。
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戦後間もない頃、岸和田中町の先代を売却してこのだんじりを新調した町。
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岸和田市の八阪町と並んでの戦後初のだんじり新調は、周囲の町だけでなくだんじり製作に携わる職人さん方にも多大な勇気と希望を与える出来事やったと思います。


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それに加え、清児という町の奥深いこと!
古くは行基様から水間鉄道まで、これを機に様々な歴史を知ることができました。


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だんじり本体のレポが中途半端で終わってしまいますが、なにぶん久々の更新。

“男子三日会わざれば刮目して見よ”というわけにはいかず…

衰える一方ではありますが、また折を見てはアップしていきますので、ご容赦願います。



飛び入りゲストにも関わらずお相手くださった清児の皆様、拙い記事ではありますが、自分なりの木島清児旅行を表現してみました。

また今年も安全曳行で祭りを無事終えられることを祈念しまして、見学のお礼とさせていただきます。


ありがとうございました!



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毛穴町新調だんじり

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大変ご無沙汰しております…
多くの方がまだかまだかと期待してくださり、恐縮しつつもありがたく思ってます。
拙ブログのアクセス解析を見ても毛穴毛穴毛穴(笑)

台風の迫る中で岸和田祭りも始まりましたが、遅れ馳せながら更新したいと思います。


平成二十九年九月十日
堺市は中区、八田荘地区の毛穴(けな)町だんじりが新調され、入魂式とお披露目曳行が行われました。

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清々しい旭日を浴びながら、真新しい纏が蜂田神社前へ入ってきました。
この黒を基調として赤でアクセントを付けたデザインが、町の新しいシンボルとして、各所に取り入れられています。

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裕に百人を超える曳き手とともに、ゆっくりと。

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新調だんじりも陽の光に清められてる様です。
前には新調委員長とこのだんじりを手掛けられた植山工務店棟梁、木彫前田工房の親方が乗っておられます。
入魂式ならではの光景ですね。

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祭礼ではこの急な坂をカッ飛んで上げてくるのですが、この日ばかりは厳かに。
まさに威風堂々としたハレの舞台を迎えた姿を魅せてくれました。

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鳥居前に据えられます。

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新しいだんじりに毛穴町繁栄の想いを込めて、蜂田神社宮司によって警蹕を上げて魂が移されます。

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毛穴町だんじり新調入魂式、神事は滞りなく納められました。

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ここからお披露目曳行です。
まずは神社から南へ向かって八田南之町を経由し、八田北町へ向かいます。

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自町で法被に着替えて出迎えたあとに気づきました。
ブレーキのバランスが良くなかったようですね。

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八田北町と並べて休憩。
当初それほど大きなだんじりにするつもりは無かったそうですが、そこはやっぱり毛穴町。
八田北町と並べた姿を見た時、毛穴町が毛穴町たる所以を強烈に思い知りました。
ここで、新調したよ~って三手先七段のだんじりを並べてたらやっぱり残念やったと思います。
これぞ帝王学ですよね。

世間ではだんじりの大きさを表す指標として鳥襖の先端までの寸法にやたらと拘る風潮が強いことをいつも滑稽に思うのですが、ここは甲乙付け難い…としておきましょう。
タイプの違う入母屋の超大型だんじりがこれからは八田荘に2台もあることに、同じ地区の者としても誇りに思えた場面でした。

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少し長めに時間を取って休憩した後、次へと向かう毛穴町を八田北町が追いかけています(笑)

その後、東堀上~堀上町~八田寺町へと進めました。

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写真がほとんどありませんm(__)m
スマホで撮った動画をご覧ください。


少々、危なっかしい場面もありましたが、何より無事に入庫出来て良かったです。

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毛穴町の皆様、製作に携わられました皆様、この度は誠におめでとうございます。

同じ地区ということもありますが、他町ながらも我が事のように嬉しく思えた新調だんじりの完成でした。

自分の知る範囲では第五代目となるこのだんじり。
今後も毛穴町は毛穴町で在り続ける心意気を感じさせられました。

これからも町と地区の繁栄が末永く続いていくことを祈念しまして、久々更新の第一部を締めたいと思います。

だんじり本体については後日…



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毛穴町新調だんじりについて

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数枚の写真を並べて入魂式の様子をアップしましたが、取り急ぎ感が否めませんね…(^_^;)
それはいい、そこじゃない的なご意見を多数頂戴した中、いよいよ本題へ進みたいと思います(笑)

だんじり本体から見ていきましょう。

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立派な四手先九段の入母屋造りとなっています。
先ず目についたのが二重になった枡合と小屋虹梁に続く組物です。

主の正面を二重枡合にするのは枡合のスペースを小さく(低く)してしまうので、彫物好きな自分としては好みではないのですが、こんな造り方があったんですね!

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九段積みの上二段目に虹梁を渡しているので、実質七段分の枡合スペース(高さ)が確保されています。
また二重にした上段の枡合部分が狭くならないように小屋虹梁への切り欠きを作り、その切り欠きの深さも組物一段分を抜くことで、本来の組物と同規格の斗と肘木を組み込んで統一性を持たせている様です。

それに柱芯から内側に四列しか出していませんね。
平側もそうですが、枡合のスペースを組物の列を減らすことで広く確保しています。
彫り物のスペースを大きく取りながら、化粧組物で間延びを防いでいます。

同じ日に新調入魂式がおこなわれた泉大津市穴師地区の豊中町新調だんじりでも、方法は違いますが、間伸びを防ぎながら組物を減らして枡合を広く取る造り方をされていました。
自町もそうですが、また見比べてみるのも面白いですよ~

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主の平です。
前述した内側に一列少ない組物、下がりのところに組物を入れた下の部分は枡合を2画面にするように中央の彫りは抜き切らずに残して繋げています。
広い枡合が豪快な構図を惹きたててますね。
あと、小屋根側の木鼻が花鳥の籠彫りになってました。

隅扇の垂木にも目が行きますね~
貝塚東のだんじりみたいです。
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組物の間隔は詰めずにしっかり開けてます。
垂木も長方形で一見背返しにも見えるのですが、斗を小さく作ることで間隔を作られてるようですね。
小間返しからのアレンジでしょうか。
普通に背返しで屋根を作れば、とんでもなく大きな屋根になってしまいますから、大きいなりに上手くこのサイズに合わせ込んだ、おっ!っと目を惹く面白さを感じてました。

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続いて小屋根です。
主と同規格の組物で、台輪を入れずに主と同じ載せ方をしています。
垂木も同じく隅扇で妻も平も七本で開いていました。

部材どうしを被せていく造り方が随所に見られますね。

目線を下げて見送り下。
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最近のだんじりのこの部分は特徴を作るところとなってきてますね。

子供の時分は連子が花鳥ではなく人物が入っているだんじりに憧れ、ましてや縁葛にまで人物の彫られただんじりを見つけては溜息混じりに眺めていた頃が、ある意味懐かしく感じたりしています(笑)

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2017年の今年は岸和田型のだんじりが5台も新調された年。
その一台を今回じっくり拝見させていただきましたが、だんじりの進化と時代の流れを強く感じました。

おおよそ100年前には岸和田で新調ラッシュを迎えていたそうです。
その100年間の歩みに想いを巡らせながら、これからも名匠の仕事に魅せられたいと思います。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございました。
次は彫り物についてレポしたいと思うので、気長にお待ちください。



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毛穴町新調だんじりについて(彫刻編)

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お待たせしております。
引き続き毛穴町新調だんじりについて、今回は彫物を中心にレポしたいと思います。
毎度ながら思いつきで取り留めない話しになりそうですが、宜しければお付き合いください。

遅れましたが毛穴町について
八田荘校区と呼ばれる全体で約3500軒の世帯数を持つ校区の中で、毛穴町は約650世帯(約35%)を占める最大の自治会になります。

石津川を利用して天保期頃から注染和晒が始まったとされ、最盛期には50軒以上の染屋があったと云われています。
大阪弁の勝手にさらせ!は、石津の川で勝手に晒せが語源やそうです(笑)

そんな晒の町、毛穴町。
新調しただんじりにも当然ながら図柄として採用されていました。

大脇物見(左)注染
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いきなり部材的には脇の部分から始まりましたが、毛穴町の誇りが現れた題材ですね。
土手引きされた生地にドヒンで注ぎ染めを行う壺人の姿が、洗いと立て干しの様子とともにマニアックな場面となってます。

そして竹の節。

左:佐保姫(さほひめ) 右:竜田姫(たつたひめ)
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竜田姫が裁縫や染めものを得意とする神であるため、対となる佐保姫も染めものや機織を司る女神と位置づけられ古くから信仰を集めている。古来その絶景で名高い竜田山の紅葉は竜田姫が染め、佐保山を取り巻く薄衣のような春霞は佐保姫が織り出すものと和歌に歌われる。
・・・とWikipediaにあります。

裁縫や染物・機織りと、こちらも毛穴町を象徴する神様として艶やかに見守っておられる様ですね。
また佐保姫は春の女神、竜田姫は秋の女神とも謂れているそうです。
気付かれた方も多いかと思いますが、この毛穴町新調だんじりはだんじりの左面には桜、右面には紅葉の意匠が施されています。

踏み板
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水桶
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正面からだんじりの左右に春と秋を巡らせ、後の水桶で石津川を表す水の流れに溶け込ませているようです。
毛穴町の意匠が引き締めてますね☆

堺・毛穴町の地元ネタがあちこち散りばめられた題材の中で、実はこれも郷土愛を表したものなんです。



八田荘小学校 校歌
また話しが飛んだようにも見えますが、冒頭の歌い出し…

春は桜の花吹雪、秋は紅葉の唐錦♪

自町の見送り下にも採用したネタなので自分は見た瞬間判ったのですが(笑)八田荘小学校の出身者しか解らない、でもこの歌とともに育った者には心にキュンとくる粋な彩りを新調だんじりに取り入れられてました。



こちらは小屋根の正面枡合:百舌鳥野の由来
見送り虹梁:毛穴菅原神社の故事
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見送り虹梁の正面にも町で守ってきた毛穴菅原神社に纏わる物語が刻まれ、自分たちの想いが込められた箇所がここにもあります。

だんじりに化粧を施された状態なので正面から上手く撮れていませんが、小屋根正面枡合にも注目して見てください。

仁徳天皇のお話しで堺市立の小学校を卒業された方は郷土史として習っているかと思います。
タイトルに百舌鳥野の由来とありますね。
仁徳天皇がご自身の墓所を探していた時に走ってきた鹿が目の前で倒れ、耳から百舌鳥が飛び出したことからその地を百舌鳥耳原と呼ぶようになったそうで、仁徳天皇稜は百舌鳥耳原中陵(もずみみはらなかのみさぎ)ともよばれています。
恐らくだんじり彫刻として初の!埴輪が脇に登場しています。

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飛び出す百舌鳥、大阪府の鳥となってますね。


そして新しく迎えただんじりには、これまでの毛穴町繁栄の歩みを見守ってこられたこちらの存在も見落とす訳にはいかないでしょう。

番号持ち:描龍仙人(びょうりゅうせんにん)
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描いた龍が絵から飛び出して本物の龍神になる・・・ぐらいでしか自分は知らない仙人ですが(笑)、それより何より先代だんじりでも番号持ちとして昭和61年から取付けられていました。
また先々代だんじりの柱巻に彫られていた仙人で、三代に渡って毛穴町を象徴し続けることとなります。

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ひらがなで、“けな”と書かれているのがお判りになるでしょうか。

先代の番号持ちには彫られて無かった龍を加え、更に高欄上部に巻きつけたように取り付けられています。


小屋根妻板にも龍神
毛穴町のだんじりとして違和感なく、また安心感抜群な選択でした。

この勢いで続けます(笑)

さらに岸和田型だんじりでは有無を言わさないメインどころとなる正面土呂幕。

信長公、蘇鉄の怪異を怒りたまふ
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こちらは安土城に運ばれた妙國寺の蘇鉄が、堺に帰りたいと毎夜泣いているのを斬り倒す場面。


堺かるたの “そ” やと前田師が仰ってました(笑)

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蘇鉄に宿る魂を葉先に目を入れることで表現されたのでしょうか。
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前田師の手掛けられたこれまでの仕事の中で、これだけの広さと厚さの材は記憶にないです。
しかしさすが親方、力強い豪快な出し入れが迫力を生んでます!
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このだんじりは彫りで勝負した。
前田師の言葉がこのだんじりを物語っています。


まずは堺・毛穴町が色濃く現われた箇所をテーマに紹介させていただきました。

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たくさんの方がこのブログを読んでくださっているようで、大変励みになって感謝しています。
なかなか上手くまとめきれずにいますが、また合間をみて更新していきたいと思います。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。



                  .









八田荘のだんじり曳行

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祭りどぉやった~?
うまいこといったか~?

そのようなお声掛けをあちこちからいただいたり。

今年っていつやった?
日ぃ変わってんてなぁー

といった会話の度に、幾度となく説明いたしております。
ありがたいことに、いつどこに行ったらええねん?…と、見物に来てくださる予定の方も例年より多くなるかと思いますので、予てより話題となっております本年度の八田荘地区だんじり曳行について、ご紹介させていただきます。

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もともとは10月5日に例大祭を行う蜂田神社のお祭りに合わせ、その前日から宵宮・本宮・後宴の3日間を神賑わい行事としてだんじり曳行を行ってきた地区となってます。
自身の小学校4年生頃から祭礼日程を変更し、10月5日に近い週末ということで10月第1土曜日に例祭を行うようになって35年になります。

近年では祭礼年番の組織が中心となり、毎年2月に行われる年番会議でその年のだんじり曳行の日程を確定していっている八田荘地区のだんじり祭り。

世間ではほとんどの神社で祭りが終わった中、蜂田神社でも今年の例大祭は滞りなく納められてはおりますが、だんじり曳行は別に行われます。
岸和田みたいですね(笑)
本年度は10月20~22日にだんじり曳行を行うことと決定していますので、曳行コースについて紹介させていただきます。


前置きが長くなりましたが、八田荘地区の広域地図です。

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鉄道駅の無い地区なので公共交通機関での移動に不便を感じてしまうためか、新興住宅やマンションの新規進出も限られ、そのためか地区全体で過疎化が進んできています。

鳳駅、津久野駅、深井駅それぞれからそれなりに距離がありますね…
地図上に示した4箇所が主な見物ポイントとなります。
位置関係は把握できるでしょうか。

①は金曜日のお昼、通称:旧ドット前と呼ばれている交差点で、東堀上と八田南之町以外の6町がここで曳行されます。

  ↓平成28年度の宵宮曳行風景
今年は元ドットであった店舗にアイスクリーム屋さんがオープンしてますよ☆

平日の昼間にも関わらず、意外にも多くの見物人が集まって来られる不思議な場所で、作業服やスーツ姿で見物される方が多いのもひとつの特徴であります(笑)

因みに八田南之町は小学生が下校後に子供曳行、東堀上では提灯を付けた夜間曳行をそれぞれ町内で行っています。


以下はの詳細図です。
はだんじり小屋の場所、はやりまわしポイント。
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宮入りは東西4町ずつに分かれて行われます。
東地区は直進、西地区は上りカーブを上がってきて神社前の駐車場に8台を並べます。

↓平成27年度の宮入り風景
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↓平成24年度の毛穴町宮入り

御祈祷を受け、各町が中学校方面へやりまわしで出ていきます。

例年なら八田荘の曳き出しを観たあと、鳳方面等へとギャラリーが移っていた時間帯と認識していますが、この宮入り・宮出も賑やかで見ごたえあるかと思います。
でも、もともと参加者やその家族だけでも見物キャパは限界に近い感じなので、決して観やすい場所とはいえないとも思ってます…

そのまま地区の最南端にある老人ホームへの慰問へ向かうので、このあと昼までは比較的ローカルな時間帯。

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もう坂道ばっかり(笑)
各町帰りに神出へ寄ったりはしていますが、全体的にのんびりムードで曳行されてる感じですね~。


午後は新道パレードが12時50分から、キリン堂前の堀上南交差点を中心とした周回コースで行われます。
そのキリン堂前の丁字路交差点を左右から進入していくために、12時半ぐらいから各町が集まってきます。
八田北町と八田南之町は焼肉味楽前と神出前とに分かれて、先にある三叉路から合流することで並走曳行も観れますよ(^^)

毎年事故がゼロではないことから、今年は自主規制としてキリン堂前を右折するだんじりは、やまもとの酒屋前からのS字を自粛することになりました。



曲がりながら下り坂となっているキリン堂前、空間は広いのですが実は道幅がそれほど無く、振り出しただんじりをコントロールするのが難しい場所で、曳き手が増える今年は特に後梃子が無理に振り切らない加減や、前梃子の逆梃子によるカウンター操作もマニアックな目線での見どころかと思います。

今年だんじりを新調して重く長くなった毛穴町が、どんな攻め方をしてくるかも見ものですね☆

そして新道パレードは、このキリン堂から約200mほど先にある左折ポイント、通称:水門前と呼ばれる角を15時45分以降は曲がれないので、その時間を最後に各町は帰町していきます。
実質はキリン堂で16時には終わっているかと思います。

尚、八田北町と八田南之町は神出に一旦入って小休止してからの帰町を予定しているので、もしかしたら同じ八田荘の八田西町のだんじりと遭遇するかも・・・

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パレード中でも、神出方面を覗けば姿が見れるかも知れませんよ~


北町は小阪郵便局側から直進、南之町は味楽側からセブンイレブンの角をやりまわしして、この土曜日は終わります。


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夜間曳行は土曜日に家原寺町の大池体育館周辺、日曜日にはこの堀上町のキリン堂から神社を経由して小中学校横を下ってまた新道へ戻るコースをのんびり曳行しています。
夜間曳行は基本、走りません。


長くなったので、一旦ここまで。
祭りまでに間に合えば、日曜日の予定もアップいたしますので、また参考にしていただければと思います。

秋雨前線の停滞や季節はずれの台風情報など、不安な要素がまだまだ沢山ありますが、地区として決めた日程。
僅かな残り時間を大切に使いながら、先ずは無事故で終われる様に頑張っていきたいと思います。

来られる方はくれぐれも防寒対策をお忘れなく(笑)

宮入順
1、八田寺町(番外)
2、堀上町(番外)
3、家原寺町
4、東堀上
5、八田南之町
6、平岡町
7、八田北町
8、毛穴町

宮出順
1、八田南之町
2、八田北町
3、堀上町
4、東堀上
5、家原寺町
6、八田寺町
7、平岡町
8、毛穴町

新道パレード順
1、堀上町
2、八田北町
3、八田南之町
4、東堀上
5、八田寺町
6、平岡町
7、家原寺町
8、毛穴町






樫井西(泉佐野市)休止中のだんじり

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平成最後となるGWのとある日、泉佐野市南中 樫井西のだんじりを見せていただきました。

数年前から佐野の同級生より見せてもらえるかも・・・という話しを聞いていたのですが、遂に念願叶って見学会の開催に至りました。

いつものいわねえさんHP“山車・だんじり悉皆調査”によると、平成11年頃から今まで曳行が休止中のだんじりやそうで、20年近く小屋で眠ったままとのこと。
以下、抜粋です。


昭和21年
・春木北のだんじり(現和泉市幸町のだんじり)が新調に伴い岸和田市藤井町へ売却もその後、春木北での新調計画が諸事情で中止となってしまう。
・春木北として1台のだんじりを曳いていた10町会のうち、一番初めに八幡町が町内の大工さんに頼んで小型のだんじりを作ったのが始まりとなり、各町会単位でだんじりを持つ町が春木でも増えていった。

八幡町だんじり(先々代)
昭和25年新調
大工:武田工務店、彫刻:木下舜次郎
昭和52年、熊取町の某氏所有のだんじりと交換するまで当該町にて曳行される。

樫井西だんじり
昭和63年、熊取町某氏より購入し、吉為工務店にて修理
平成元年から平成10年頃?まで曳行し、以後休止中


ざっとこんな感じです。
昭和25年の新調から68年間の中で、曳行されていたのは37年間。
昭和52年~同63年(12年間)、平成11年~現在(20年間)計32年間が曳行なしとなります。
※昭和52年の八幡町での祭礼に曳き出されたか否か、また平成11年についても自分は知らないので勝手に曳いてない年としています・・・すみませんm(__)m

いつも安定の長い前置きはこの辺にして、樫井西のだんじりをご覧ください。

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駒を外した状態で保管されていました。
腰周りは三段、三手先七段の切妻造りで台と屋根の骨格部分を中心に修理で取り替えられたようです。
腰周りを広げた分、土呂幕の両端が削られているのはお判りでしょうか?
それに合わせて縁板や勾欄も替えられてますね~


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縁葛は無地ですが、連子には楠公親子櫻井の別れの場が彫られています。
そしてご覧くださいこの土呂幕!
牛若丸と武蔵丸弁慶、五条大橋出会いの場
素晴らしいですね☆

牛若丸は欠損していたのか、筒井一門の手により付け足されていました。
(主の枡合三方についても同じく付け替わっていました。)


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巨大なギボシと大きく取った橋の幅、弁慶の下半身の踏ん張りによって力強く存在感抜群な構図が形成されています。


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左平土呂幕:敦盛呼び戻す熊谷次郎直実


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右平土呂幕:扇の的を射る那須与一


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松良左右:牛若丸、鞍馬寺にて烏天狗と武者修行


どれも秀作ですね~
完成が昭和25年というのも想像が膨らんでしまいます☆
ちょうど筒井和男氏が一番弟子として舜さんの下へ入門され、貝塚東や中之濱町の大仕事をこなしながら、また人生の中でも転機を迎えられたという40歳の木下舜次郎師が世に送り出しただんじりとなりますね。


イメージ 6梃子掛けと水板には桧が使われていました。


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松良受けと脇障子受けを大きく張り出させて、広げた縁板を受けています。


このだんじりが新調されたのは終戦直後のころ。
だんじり大工では無かったであろう当時の村の大工さんにお願いしただんじりには、あちこちに苦心の跡を垣間見ることができます。


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櫓のように柱を越して組物が出ています。
また妻側にも真板が通っている様に見えますが、二重見送りではありません。


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まさに試行錯誤ですね。


イメージ 12屋根周りも桁等は取り替えられていましたが、葺地は恐らく新調当時のものかと思います。

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小屋根は切妻造りですね~。


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シンプルですが、ええ出来栄えです。


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続いて見送りですが、こちらは少し毛色が変わってきますね。
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吉為工務店で修理の際、空っぽになっていた見送りに上だんじり?あたりの板彫り武者をはめ込んだのではないでしょうか?


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富士の巻狩り、仁田四郎大猪退治

彫師さんは誰でしょうか。
ここは触れず、詳しい方にお任せします(笑)

イメージ 19後脚の造り方が、この彫物の生まれを物語っているようですね。
何れにしろ一級品には違いない作品です。



泉州最南端に存在する岸和田型だんじりでありながら、長年眠り続けてきた樫井西だんじり。
今回、見学会が実現できたのは樫井西町内会会長T様はじめ、千代松泉佐野市長様及び佐野の同級生N氏が尽力くださり、お忙しい中わざわざ時間を取っていただけました。
ブログ上ではありますが、あらためてお礼申し上げたいと思います。
ありがとうございました。

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~後記~

このだんじりを拝見するにあたり、どこかで耳にしたひとつの言葉が頭の中を幾度も過っていました。

置かれた場所で咲きなさい・・・と。

いかにもキリスト教っぽい、また言葉の真意も知らないままでしたが、日の目を見て曳かれてこそのだんじりです。
何処の地であれ誰のものであれ、人の輪と和の中で咲き誇ってもらいたいと強く想いながら眺めていました。

この言葉をあとで調べてみると、渡辺和子さんという修道女(シスター)の方やそうで、残念ながら一年半ほど前に亡くなられた方の言葉でした。

「時間の使い方は、そのまま命の使い方。置かれたところこそが、今のあなたの居場所なのです。『こんなはずじゃなかった』と思う時にも、その状況の中で『咲く』努力をしてほしいのです」・・・と言葉を残されていました。

倉庫に眠るだんじりとダブらせるだけでなく、人生の様々な場面で思い返すことで救いとなりそうなメッセージですね。

このだんじりが再び多くの人の目に触れ、町の発展と繁栄を願う花を咲かせる日が来ることを祈念いたします。
また自分自身でも、人知れずとも胸を張って咲き誇れる様に頑張りたいと思いました。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました(*^_^*)。。


                     .

堀上町だんじり(堺市中区八田荘地区)

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晴天に恵まれた5月20日の日曜日、八田荘地区の2町で子供向けのイベントがあり、それぞれだんじりを出しての体験会が行われていました。
そのうちのひとつ、堀上町にお邪魔させてもらいました。

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子供会や自治会に入っていない子供達にもだんじりを体験してもらおうと、こんなイベントを行う町が増えてきましたね。

話しは逸れますが、自町も今年は7月1日(日)14:00~16:00で予定しているので、宜しければぜひお越しください(^^)

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堀上町だんじり
昭和53年(1978年)新調
大工:池内福治郎
彫刻:十場祐次郎、木下頼定、松本幸規

云わずと知れた今に繋がる新調ラッシュの先陣を切っただんじりです。
もう書きたい事がいっぱい有り過ぎてまとめ切れないので、ここは我慢して先へ進めます。
文末にいっぱい書いたので、興味ある方はお読みください(笑)

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先ずは正面から。
バランスの良い姿見です。
池内工務店にて行われた第一回目の大修理で取り替えられ、内幅を三尺三寸から三尺六寸まで拡げられたと記憶しています。
その際の用材は町が用意して支給した良品。
台木ひとつ取っても、この町のだんじりへの強い思い入れが伝わってきますね☆

変わって大屋根は大下工務店製で七尺七寸ほどの屋根幅。
四手先八段で組みあげた入母屋造りとなっています。
今となっては小型となりそうなサイズですが、屋根のむくりを大きく取ることで、だんじりを小さく見せない工夫がされてる様です。
幅広の懸魚と相まって、迫力を生んでますね!

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主の平と妻側の組物。
小さくした斗を細かく詰めて、手先を増やしてます。
扇垂木も美しい☆

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大屋根枡合彫刻

平の枡合が大きいのも、このだんじりの特徴のひとつになります。
この天岩戸に吊るされた鏡がキラキラと目立つので、幼い頃の憧れでした。
うちのだんじりにも欲しい!って彫師さんにお願いしたら、それはちゃうやろ~って優しく断られたのは懐かしい思い出(笑)
先代の枡合正面は八艘跳び(笑)



二重枡合に彫られた一寸法師を見て、合戦物や花鳥物以外でも題材としてこんなんもあるんやな~と、自分自身に知らせてもらった彫刻。

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続いて腰周りです。
金網で撮りにくかったので写真はあまりありませんが…

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連子の大石内蔵助が持つ陣太鼓の巴紋、“何と無くこんな感じ”感がたまりません。
今なら忠臣蔵やから三つ巴だの、赤穂浪士の討ち入りやから二つ巴だの・・・
拘りの目が細部まで隙の無い仕上がりを求めがちですが、本質とは何かを考えさせられます。

何れにしろ昭和33年以来、約20年振りに誕生する新調だんじりです。

そこで岸和田型だんじりの顔とも言える土呂幕を彫る。
手掛けられた彫師さんは、どんな気持ちで叩き始めたのでしょうか。

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平成も終わろうとしている今の時代に見る新調とは、全く違ったものだったと思います。
そのどれもがここから始まったんですよね!


新調から40年を迎え、年季が入ってええ雰囲気を醸し出してます。
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後へ回ってみましょう。

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この小屋根の製作当時、一旦完成していたのをまた作り替えたそうです。
施主側の厳しい要求に応え切った、職人さん方の苦労の結晶ですね。

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非常に丁寧な造りは時代を感じさせない美しさを放っています。



見送りは二重で上は本能寺の変。
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このだんじりの代名詞ともいえますね。


下は大阪夏の陣。
城門から橋を掛け、川を流して構図を作っていくプロセスをお聞きしたのを思い出しながら拝見していました。
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木下頼定師、十場祐次郎師の銘が誇らしげです。



堀上町だんじり
昭和50年の祭り前後、堀上町ではだんじり購入の話しがいよいよ具体的に持ち上がり、どこかにいいだんじりが無いものかと探していたそうな…

隣の八田北町では見送りのある三本角のだんじりを昭和47年に岸和田から買ってきてたことから、堀上町でも見送りのあるだんじり、岸和田型のだんじりでご縁が無いかと各々が知り合いの伝手を頼りに情報を集めに回り始めた。

時を同じくして泉佐野市日根野で1台だけで曳かれていた久ノ木のだんじりが、祭りの下火とともに自治会館を建てるために売りに出されるという話しを聞きます。

言うに及ばず皆さんご存知、岸和田型の名だんじり。
昭和7年に新調されたワンオーナー車です。

これを八田荘に持ってこれたら…

ところが複数の町から購入の打診があったそうで競争入札となり、約10年振りの曳行復活に動いていた岸和田の磯上町に1600万円で落札されてしまった。

年が明けた昭和51年、落札ならずの報を受けた堀上町では落胆と共に“わが村で新調する”という想いが町民の中で沸き起こってきたとか。

今の(当時の)だんじりを明治から80年ほど曳いてこれたのは、新調して10年と経ってないしっかりしただんじりを片蔵から買ってこれたからである。

また売却したいとの話しを聞きつけて見に行っても、畑などに野ざらしにされた傷みの激しいだんじりがほとんどで、他に適当なだんじりが見当たらない。

ええしの村のプライドも強く後押ししたのか、だんじりを手掛けている大工さんとして岸和田の植山工務店へ新調の見積もりを依頼するに至ったそうです。

そこでまた新たな壁が立ち塞がります。
岸和田型の新調にはもう少し安くなるかも知れないが、本体1億円をみていて欲しい…とのこと。

想定を遙かに超えた金額に植山工務店での新調は事実上立ち消えてしまいますが、他にも聞いてみてはと訪ね歩いた先に、地元岸和田大工町の大修理を手掛けられた池内福治朗師とのご縁に結び付きます。

遂に念願のだんじり新調の想いが、紆余曲折を経て形になる時がきました。

大工:池内福治郎
彫刻:木下賢治
本体価格:4700万円

実際の製作では墨引きを大常さん、そして残念なことに彫刻の責任者である賢治さんが大病を患われたため、十場祐次郎師、木下頼定師、松本幸規師の手により進められたそうです。

そして昭和53年(1978年)に完成。

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当時は新聞にも大きく取り上げられ、NHKが入魂式の様子を取材に来られ放送されました。
インタビューに応える棟梁が 『感無量やね…嬉しい反面、淋しい気もします。』 とコメントされていたのを、今でも鮮明に覚えています。


この堀上町新調を皮切りに、昭和55年に堺市小阪(池内工務店)、昭和57年に岸和田市大沢(吉為工務店)、同 阿間河瀧町(天野工務店・完成は58年)と続き、
去年新調された5台のだんじりの完成を以て、堀上以降140台もの岸和田型だんじりが誕生することになります。


そこには多くの職人さんが苦心され、切磋琢磨の結果が凝縮されています。

その全てのスタート地点がこのだんじりから始まっているのです。

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最後にもうひとつ。
岸和田市磯上町へと嫁いだ久ノ木のだんじりは当町の繁栄をもたらし、次代のだんじり新調へと繋がりました。

また若くして磯上町の修理に携わられた現大下工務店の棟梁はこのだんじりを通じ、師の親父さんや久吾の久納幸三郎師にだんじり大工としての基礎を学ばれ、後に多くの名だんじりを世に送り出された師の原点にもなったと聞きます。
(上記140台の新調された岸和田型だんじりのうち、34台が大下工務店の製作)


歴史の if は空想でしかありませんが、この久ノ木のだんじり売却が生み出した大小の出来事は、どのひとつが欠けても増えても今に大きな影響を与えるであろう、泉州だんじり祭り黎明期の歴史秘話が宝石箱の様に詰まった話しだと思います。


今年で新調から40年周年を迎える堀上町。
実は未だ横転事故の無いだんじりでもあります。

今年も鮮やかな紺の意匠が八田荘だんじり祭りの花と咲く様、安全曳行とともに祈念したいと思います。


いといつくしき名だんじりのご紹介でした。




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ブログの移行について

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各位

梅雨明け宣言が待ち遠しく思う長雨が続くこの頃
皆さま如何お過ごしでしょうか。

先日来ヤフーより盛んにPRされている、2019年12月のヤフーブログ停止に伴い、このブログを移行することにいたしました。

2005年8月に開設して以来、気まぐれな更新でありながらも初対面の方から‟ひろたみくん”と呼んでもらえるきっかけとなっているであろうこのブログ。

またいつになるかわからない更新の機会を残したく、アメブロの方へ引き継ぐことにいたしました。

使い勝手も解らないままではありますが、この田舎のオッサンが思いつくままに書き残した独り言にお付き合いくだされば幸いです。

ヤフーが示すスケジュールでは、9月1日以降の新規投稿が出来ないとのことなので、祭り前の慌ただしい中での作業を避けるべく、このタイミングとなりました。

実際の移行作業はそれまでに(また気まぐれで)行いますので、アメブロの方でも引き続き宜しくお願い申し上げます。

                             敬具

移行先のアメブロ

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これまでヤフーブログをありがとうございました!


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